1: 底名無し沼さん 2019/04/29(月) 12:22:53.26 ID:ztDI2gMy
それもまた登山

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432: 底名無し沼さん 2019/12/24(火) 03:48:52.58 ID:fdujcZRH
>>1
富士山が有名だね


霊峰・富士山の頂上は誰のものか? 一見、国有地だと思われがちだが、大間違い。実はれっきとした私有地であり、所有者がいる
所有者は富士山本宮浅間(せんげん)大社(静岡県富士宮市)である。
8合目以上の多くが浅間大社の境内にあり、16世紀に徳川家康から手に入れたが明治維新のどさくさに紛れて国有化された過去がある(詳細はググれ)
何十年と争われた裁判でも「私有地化」の判決が示されている。
富士宮市にある神社の境内には「富士山頂奥宮境内地行政訴訟勝訴之碑」と書かれた碑が建っている
http://www.fuji-hongu.or.jp/sengen/festivals/04_09.html
2013年6月に「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」が、ユネスコの世界文化遺産に登録された
富士山本宮浅間神社は、その構成資産の一つとなっている。

今のところ、「国有地じゃないから、入山料巻き上げてボロ儲けしようぜ!!」という話は無い


なお、アメリカ・カナダ等の国立公園は その大部分が国有地で 景観を損ねる建物や看板、自然環境や生態系に影響を及ぼすものは 規制がかかっていて、よほどの理由が無いとそう簡単には作れない
日本の場合は開発が早い時期から進行していたため、国立公園であっても実は私有地で、開発規制をかけてるだけというケースが珍しくない。
だから日本の場合、山頂に景観をぶち壊しにする人工物がゴロゴロあっても、私有地だったら規制が難しい現状だったりする

2: 底名無し沼さん 2019/04/29(月) 12:39:08.39 ID:mYX5xwG5
うちの地元にも法螺貝同好の人達が登って吹いてる山があるわ

3: 底名無し沼さん 2019/04/29(月) 14:14:30.02 ID:R140eKQA
山岳信仰のの山ってどれくらいあるんだろ
月山とか白山?

8: 底名無し沼さん 2019/04/29(月) 14:41:55.14 ID:8xdt2UvB
>>3
名のある山で山岳信仰と結びついてないのはほとんどないだろう。

22: 底名無し沼さん 2019/04/29(月) 21:41:26.43 ID:kc4OiXq6
>>8
せやな

4: 底名無し沼さん 2019/04/29(月) 14:19:58.59 ID:SB6kwuEL
御嶽

25: 底名無し沼さん 2019/04/30(火) 15:11:35.00 ID:KgD/RoNa
>>4
おんたけが何やら始めたようだな。
熊野ならぬ、御嶽古道とかなんとか

5: 底名無し沼さん 2019/04/29(月) 14:20:29.28 ID:SB6kwuEL
乗鞍

6: 底名無し沼さん 2019/04/29(月) 14:20:50.45 ID:SB6kwuEL
駒ヶ岳

11: 底名無し沼さん 2019/04/29(月) 15:00:16.05 ID:W4iWUnw8
武甲山

縄文時代から続く山岳信仰の山
そんな山の神をも恐れず、毎日毎日発破攻撃を浴びせて山を削り続けるのだから
資本主義とは大したものである。

13: 底名無し沼さん 2019/04/29(月) 15:45:43.73 ID:9VR0JOsZ
日光の山々 山岳修験の地だからね

15: 底名無し沼さん 2019/04/29(月) 16:09:20.61 ID:UiJ8VH51
>>13
足尾だった

14: 底名無し沼さん 2019/04/29(月) 16:08:53.89 ID:UiJ8VH51
昔登山道歩いてたら金剛杵みたいのと錫杖もった人が二人いて呪文唱えてた。
白い服着てたな。
帰りに同じ場所見たら盛り塩と米と紙があった。
石碑も何もないところで、なんでここなんだろうと思ったな。

16: 底名無し沼さん 2019/04/29(月) 17:29:55.60 ID:GQ2HQc7/
大同年代に開かれた神社はみんなそうだろ
うさんくせえ高野聖の仕業

23: 底名無し沼さん 2019/04/29(月) 21:43:05.45 ID:kc4OiXq6
西日本だと吉野 熊野 石鎚山が聖地のトップだな

24: 底名無し沼さん 2019/04/30(火) 09:31:48.80 ID:7BlifDj0
天保山
帝塚山
信太山

26: 底名無し沼さん 2019/04/30(火) 16:29:41.38 ID:kvl4VKUs
埼玉にある金鑚神社に行ったら山そのものが御神体らしく登ってきた

46: 底名無し沼さん 2019/05/10(金) 23:09:09.69 ID:hslZ/w7Q
岐阜県民だが山の中や道端に霊神碑てのがやたらにあって、御嶽信仰というのを知った。白山も見えるから白山神社も多いんだけど、割とあちこちに独自の修験場があって面白い。

出羽三山は憧れる。

47: 底名無し沼さん 2019/05/17(金) 00:35:24.40 ID:iN46iOYK
逆に、適当な山に登って山岳信仰の痕跡を見つけると嬉しくなる。

48: 底名無し沼さん 2019/05/17(金) 07:58:06.40 ID:goHTMSOZ
ローカルで有名な山にはたいていあるでしょ
地名とかで残ってる場合もあるし

49: 底名無し沼さん 2019/05/17(金) 18:41:04.17 ID:479xxQxq
日本にいくつ山あると思ってんだ

50: 底名無し沼さん 2019/05/18(土) 07:56:25.28 ID:5YdPxipT
里山にも祠のひとつやふたつはあるだろそれだって信仰の対象や
おおやまくいやらおおなむちや大物主なら文句なしに山岳信仰やで

51: 底名無し沼さん 2019/05/18(土) 08:32:37.99 ID:L3xIOAG2
やっぱり平安後期から鎌倉に掛けての熊野三山、吉野と天皇家の関係がよくわからんね。

52: 底名無し沼さん 2019/05/18(土) 12:31:33.64 ID:xBQ+FF+o
秋田 宮城 岩手の県境の栗駒山 それぞれの県によって呼び名が3つある
もちろん山頂には奥の宮

54: 底名無し沼さん 2019/05/19(日) 23:43:31.36 ID:Xx/nyppW
源平合戦で平家が敗れてから、ミカド(帝、天皇)は
背景となる武力を失った。ミカドがこれに代わる軍事力として
頼ったのが、熊野三山の僧兵たちだった。
当時の社寺は広大な領地をもち、大名よりも強力な軍事力をもった
もうひとつの国家だった。それはのちの戦国武将たち信長や秀吉が、
比叡山や大阪本願寺、加賀や三重の一向宗の制圧に手こずったことからも
わかるだろう。日本で最初に鉄砲を量産し始めたのも社寺(堺、根来)だったくらいだ。
ミカドは南北朝に至るまで、何度か鎌倉(北条家)を征伐しようとして、熊野の兵
を頼んで挙兵したが、成功せず、逆に隠岐に流されてしまった。
この後、ミカドが本当の意味で政治の実権を回復した例はない。
幕末には、その経済力さえ小名程度に落ちていたと言われる。


(別の話)
明治政府を作った薩長は、いわずと知れた関ヶ原の敗戦組だ。
関ヶ原の事前の予想では、西軍側が圧倒的に有利だった。
とくに広島の大藩であった毛利家は、敗戦は全く予期していなかったろう。
しかし、この結果、毛利家は芸州を追われ、本州末端の貧乏藩、
長州に押し込められてしまった。薩摩と長州はこの扱いを江戸時代の300年間
恨みに思い、関ヶ原の戦いでなぜ負けたのかを研究し続けたという。
幕末に至り、幕府の統治力が衰えたとき、薩長が今こそ関ヶ原の恨みを
果たすときと小躍りしたのは想像に難くない。
その300年間貯められた、長州の恨みのエネルギーやすさまじく、
幕府に味方した東北諸藩を征伐した戊辰戦争では、その過酷な、徹底した
掃討戦は東北人を恐怖させたという。今でも山口県出身と聞くと、
東北の人々は顔を強ばらせるくらいだ。

55: 底名無し沼さん 2019/05/19(日) 23:48:20.73 ID:5P7iUrl9
ちなみに、天皇や幕府という用語も明治時代にふつうに使われ始めたもので、
江戸時代以前はほとんど使われていなかったのです。

56: 底名無し沼さん 2019/05/20(月) 06:56:10.09 ID:lnwV+x1e
それはおまえの好きな話で山岳信仰関係ないやん

57: 底名無し沼さん 2019/05/23(木) 20:05:44.23 ID:60adRwVU
つーか、基本的に山体などを神のいますものと認識したのが初めだろ
大木だろうと巨石だろうと何か神々しく厳かな感じがするもの、基本的に万物に霊が宿ると感じるアニミズムの世界や
素朴な神道じゃ、本殿は無く自然物の本体を拝するためだけの拝殿だけだからな
修験道というものはそれに後付けで仏教的解釈をしたもんだろ
まぁ、山頂に立って大山祇命だろうと何だろうと石の小祠があるとほっこりする

58: 底名無し沼さん 2019/05/23(木) 22:35:04.82 ID:2COunzqA
やたら口調が厳しいに、石の小祠にほっこりするお前のことは嫌いじゃない

234: 底名無し沼さん 2019/06/12(水) 12:43:40.47 ID:3UrRItsR
なぜ、山が人を魅きつけるか考えてみた。

山には車がいない、ビルもない、コンビニもない。

これらの支配する町を出て、いまいちど原初に帰りたい。

そういう本能的な思い。

しかし、山は無人地帯ではない。

多くの人は登山道を行く、きまぐれな人でも人の踏み跡を追う。

つまり、山は孤独でも、先輩の足跡を追う行為なのだ。

それは文化であり、ただの原始林ではない。オリエンテーリングみたいなもんだ。

囲碁や将棋の定石を追うという行為と似ているかもしれない。

(続く)

236: 底名無し沼さん 2019/06/12(水) 19:42:13.66 ID:yySW5/cD
>>234
伊吹山にでも登って深呼吸しようや

235: 底名無し沼さん 2019/06/12(水) 17:51:05.72 ID:YFw8SHsT
酔っぱらいかな?

237: 底名無し沼さん 2019/06/14(金) 04:51:37.29 ID:CEh/PDz8
つまり、山は自然ではあっても自然そのものではない。
登山道や踏み跡は、人間の文化である。
自然と文化が織りなすもの、それが登山だ。

この管理された自然、ゲーム場を人はゆく。
ゲームである以上、ルールがあり、こつがあり、技術がある。
これを外れると、ゲームオーバーだ。

ゲームの相手は誰だろう?それはやはり自然だ。
自然と人間とのゲーム、そんなところかな。

239: 底名無し沼さん 2019/06/15(土) 05:04:19.38 ID:7rsVf7Is
こういうことは一般の登山道を行っていると、あまり分からない。
自明すぎて。でも、バリルートなどの踏み跡も定かならぬところを
行っているとよくわかる。
ほとんどの登山者は人の踏み跡を行っているのであって、それが消えたら、
ふつうは断念するものだ。
前人未到のなんとか北壁を登るとかいうのでなければな。
だから、登山をやっていると、前人、先人、先達といったものに
興味をもつのが当然だろう。
そいいった際に、ほとんどの場合、先人は修験であることがわかるのだ。
作業道や林道、水源巡視路といったものの場合は別だが、
登山的な興味で登ると、そこには必ず修験の跡がある。
よって、登山と修験を分ける、これまでの考えは妥当ではない。

しかし、一方で登山と修験はまったく同じだろうか、
そうも言い切れない気がする。

引用元: ・山岳信仰ありきの登山

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